交通事故にあった瞬間、気がつくと昨日の同じ時間だった
翌日になり事故にあった時間がやってきた
気が付くとまた昨日の同じ時間だった
くり返す同じ1日、同じ世界
ただ一つ違うのは他人も動物も誰もいないこと
ひとり
たったひとり
ひとりぼっち
その時、鳴るはずのない電話が鳴った・・・!
母親と暮らす27歳の真希は銅版画家として「メゾチント」作品を手がけている。そんな6月のある日、真希は交通事故にあった。のはずが、昨日の同じ時間の自宅の居間で目が覚めた。ただその世界には自分以外の生き物が存在しない世界だった。そして事故にあった時間になると再び昨日に戻る。その日から彼女の永遠の「今日」が始まった。「今日」を170回くり返し、孤独に耐えきれず崩れ落ちそうになったその日、誰もいないはずの世界に電話のベルが鳴り響く。「うそ・・・!?」
洋平は、友人たちと、自分たちのアート作品をまとめた画集をつくろうとしていた。街がX'masイルミネーションで彩られはじめた12月のある日、洋平はギャラリーで一つの作品を目に止める。「時間(とき)」というその作品を、ぜひ画集の装丁に使用したいと思った洋平は、作者に承諾をえようと受話器を取った。呼出音が鳴る・・・。
という導入部分ですが、「時間」は「時」じゃなく「刻」かもしれないね。(調べろ)
いやあ、惚れましたこの映画。
この「くり返すエンドレスな日々」的な設定って、他の映画やドラマ、小説でもみかけたことはあるような気がするほど一見ありきたりっぽい設定にみえます。
ただ、この自分しか存在しない。人間どころかいわゆる生き物が自分のみというところが印象を強烈にしております。
映画ではこのこの画がすンごいの。ひとりを表す映像が!
CG処理もあるそうですが、大都会に真希ひとり。これがすごい。
東京のような見慣れた大都会の街並みなのに、人がひとりしかいない。
シュール。そして、こわい。
人が人でいれるのはひとりではないからだと思う。他人がいるから、他者の存在を認識することで、自分と比較することで人は容易に人でいれるのだと思います。人が己の意志だけで人であり続けるのはどれほど困難なことでしょうか。ジャングルのなかでひとりで10年も20年もいて一生そのままだとわかってて、私は「人」でいる自信はまだないです。
なんてことを考えちゃって、こわい。
主人公・真希は牧瀬里穂が演じています。久しぶりに見る彼女は、さすがに落ち着いた大人の女性でした。特にからだのラインとか。
ラフな夏服からのシルエットがたまりませんね、お兄さん。
そうそう、泳ぐシーンがあったんですけど、水着みえません。いいのでしょうか。
でもそのほうがいろいろ想像しちゃって良いかも知れません。(駄目)
相手の洋平役は中村勘太郎。しっかりしつつも、頼りない感じが絶妙。
会社の上司役の榎本明や、真希の母親の倍賞美津子相手で頼りない感じが強調されちゃったりして、でもそのドギマギ感とかで逆によけい彼の必死さ真摯さが伝わってきたりして、マ結果オーライ。
ちなみに柄本さんや賠賞さんも大好き。
倍賞さんは、でも、老けたなあ。こどものころ憧れの女性だったんだけどなー。でもなんでか他人には言えなかったなー。欽八先生(鉄矢)の妻役だったからかなー。どうでもいいんですけど。
脇の役者といえば、柿崎という男を演ずる北村一輝のうさんくさい表情も見事だった。
彼を信頼したい真希と彼を認めたくない洋平のすれ違いがもどかしい。
彼の登場が「永遠の世界」に変化をもたらします。どきどき。
しかし、この柿崎の件が決着する頃から、物語は若干トーンダウンした感はいなめない。
展開が装うの範囲内におさまってしまうのだ。最後まで。
それまでは、予想以上にほんと引きつけられた。
とはいえ、最後が悪いわけはない。まったくない。
見終わった後の感覚の心地よいこと。
たぶん私にとっては、ベタベタのラブストーリーじゃなかったのがよかったのだろう。
会えない2人がデートをする。
同じ時間に同じ場所に行き、同じものを見る。互いの姿は見えないけれど。
2人は、会話する。互いの声は聞こえないけれど。
それは可笑しく、哀しく、あたたかい。あとなんかエロい。
よく考えたらベタベタしたくても会えないからできないっつう話。
ちなみに真希がこだわる「メゾチント」とは主にモノクロ挿絵(特に肖像)に用いられた技法でありまして、以下説明。
まず銅板の表面をロッカーという道具で処理して粗くします。(この段階でインクをつけて印刷すれば真っ黒な画面となりますね)
ロッカーは使い方によって微妙な濃淡を出すことができます。原理はよくワカランが。
なのでこのロッカーで、さらに銅板を磨き込むか、削りとるかして、白く出る部分を彫り上げていきます。
すると、濃淡のトーンは思いのままに表現することができ、えらいものになると写真版にも劣らない微妙で精緻な表現が可能になるのです。
なんかややこしいが手間のかかる反面緻密な表現が出来る銅版画ってことか。そういえば確かにギャラリー主人役の小日向文世(イカス)も、真希の作品評して「手間かかる」云ってた。
ほんとうに、「みずみずしくピュア」「清涼感」といった宣伝文句がぴったしの作品でした。
映画に彩りをそえるその音楽もすばらしく、さすがミッキー吉野さん。うーむ、うまい。
最後に真希の印象的だったセリフで終わりにしたいと思います。テーマかなこれ?
「目的があれば同じ一日でもちゃんと明日になるんですね!」
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